2012年9月10日月曜日

現場に向かう電車内でのことでありました。
制服着ているんだったら、自覚しろと声が聞こえました。観察すると車両の出入口付近で6人ぐらいの小学生が輪になっておしゃべりをしていました。声がそれなりに大きかったこと、乗客の出入を妨げていたこと、それらがあいまってのことだったのでしょう。ちょうど、学生の通学時間帯ということもあり、我々労働者と制服学生が6:4ぐらいの比率でした。

複雑な思いで観察していたのですが、ポイントはそのまわりにあったのです。

労働者は、私とおなじ、複雑そうな表情で静観していました。

そのとなりの学生たちの口からは、子供にうるさいオバサンだと否定の声。それも、あちこちから。
微妙な線引きですが、決して間違ったことをいっていたわけではなさそうで、むしろ失われた何かを感じたぐらいの気持ちでした。先輩にあたる中高生の口からは、アイツ、ダリい、ぐらいのことだったのかもしれないのですが、少なくともわたしのまわりからは、肯定同意の声は聴こえてきませんでした。小学生と高校生の差で10年の塊を考えたこと、年相応の精神構造なのかどうかということ、日本全体の民度のレベルなのかどうかということ、反射のように、この3つを考察したのが労働者組だと思います。子供なのに、子供だからこそ、そんなたどり着けないように思える出口をさがすより、我々神道の国のあるべきすがたを、みんなで考えたいものだと思いました。難しいことです。正しい間違っているではなく、相応しいかどうか、こんな時代だからこそ見つめ直したいと思いました。


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